大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所 昭和62年(ワ)7080号 判決 1989年4月28日

原告

前田秀雄

ほか二名

被告

小嶋武

主文

一  被告は、原告前田秀雄に対し五八万〇一一八円、原告前田晃之及び原告前田好夫に対しそれぞれ二九万〇〇五九円並びにこれらに対する昭和六二年七月二六日から各支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、これを五〇分し、その一を被告の負担とし、その余を原告らの負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告前田秀雄(以下、「原告秀雄」という。)に対し、四一三三万三九二八円、原告前田晃之(以下、「原告晃之」という。)に対し、一二九四万一九六三円、原告前田好夫(以下、「原告好夫」という。)に対し、九九四万一九六三円及びこれらに対する昭和六二年七月二六日から各支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  交通事故の発生

(一) 日時 昭和五八年一〇月三日午後〇時三〇分ころ

(二) 場所 大阪府枚方市堂山東町七番一二号先国道一号線路上(以下、「本件事故現場」という。)

(三) 加害車両 普通乗用自動車(登録番号、大阪五五わ四六七六号。)

右運転者 被告

(四) 被害車両 普通乗用自動車(登録番号、大阪五三あ三一五二号。)

右運転者 訴外前田千鶴子(昭和一二年一一月二五日生、以下、「千鶴子」という。)

(五) 態様 千鶴子が被害車両を運転して前記日時に国道一号線を枚方方面から京都方面に向かつて北進中本件事故現場で信号待ちのため停車していたところ、後方から進行してきた加害車両が被害車両に追突した。

(六) 結果 千鶴子は追突の衝撃により腹部打撲。頸椎捻挫の傷害を負つた(以下、以上の事故を「本件事故」という。)

2  責任原因

加害車両はレンタカーであるところ、被告は、加害車両を賃貸し、これを自己のために運行の用に供していたものであるから、自賠法三条により、本件事故によつて生じた人的損害を賠償する責任がある。

3  治療経過及び千鶴子の死亡と本件事故との因果関係

(一) 千鶴子は、前記頸椎捻挫の治療のため、次のような通院治療を余儀なくされた。

(1) 昭和五八年一〇月四日から加藤病院に通院

(2) 昭和五八年一〇月一七日から昭和六〇年四月六日まで新世病院に通院(実通院日数三九七日)

(二) 千鶴子は、右頸椎捻挫の治療中急性虫垂炎、胃下垂、胃潰瘍等に罹患して昭和五九年一月二九日から新世病院において頸椎捻挫の治療と並行して右疾患に対する治療も受けていたところ、昭和六〇年四月八日、更に急性腹症を発症したため同病院に入院し、同月一一日、麻痺性イレウス(腸閉塞)、汎発性腹膜炎(横行結腸穿孔)の治療のための手術を受けたが、同月一九日、右腹膜炎のために急性心不全を生じて死亡した。

(三) 千鶴子の直接死因は、前記のとおり横行結腸穿孔による腹膜炎から急性心不全を生じたためであるが、右横行結腸穿孔は、本件事故の際の腹部打撲によつて生じたか、又は、本件事故による頸部捻挫のために頸部痛、頭痛などを生じ、これによるストレスによつて自律神経に障害が生じた結果、胃液等の分泌に異常をきたして胃潰瘍になり、そのため消化不良になつて、未消化の腸内通過物が横行結腸を侵食して穿孔を生ぜしめたために生じたものであり、従つて、千鶴子の死亡と本件事故との間には相当因果関係がある。

4  損害

(一) 千鶴子の損害

(1) 治療費

千鶴子の前記入通院の治療費として、加藤病院において三万一八〇〇円、新世病院において二六八万五七〇二円を要した。

(2) 通院交通費

千鶴子は、前記各病院まで七、八キロメートルの距離をタクシー又は自家用車を利用して通院(その間の実通院日数四一八日)したが、そのため平均して一回あたり一〇〇〇円、合計四一万八〇〇〇円の交通費を要した。

(3) 本件事故から死亡までの休業損害

千鶴子は、本件事故当時満四五歳の健康な女子で、家事に従事していたところ、本件事故による受傷のために本件事故の翌日の昭和五八年一〇月四日から死亡した昭和六〇年四月一九日までの五六四日間主婦として稼働することができなかつたので、昭和五七年度賃金センサス第一巻第一表、産業計・企業規模計・学歴計の四五歳ないし四九歳女子労働者の平均賃金である二〇七万六二〇〇円をもとにして算出した三二〇万八一五五円(一円未満切捨て、以下、同じ。)相当の休業損害を被つたものというべきである。

(算式)

2,076,200÷365×564=3,208,155

(4) 死亡による逸失利益

千鶴子は、前記のとおり家事に従事する健康な女子であつたから、本件事故に遭わなければ、就労可能な満六七歳まで二〇年間にわたり、主婦として毎年少なくとも前記二〇七万六二〇〇円相当の家事労働をすることができたはずであり、また、その間の生活費は右家事労働の評価額の三割とみるのが相当である。そこで、千鶴子の右期間の家事労働の評価額の総額から右生活費を控除し、更にホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して、同人の死亡による逸失利益の死亡時における現価を算出すると一九七八万八六七七円となる。

(算式)

2,076,200×(1-0.3)×13.616=19,788,677

(5) 慰藉料

(ア) 千鶴子は、本件事故による受傷のために、前記のとおり昭和五八年一〇月四日から死亡した昭和六二年四月一九日までの五六四日間療養を余儀なくされたものであり、その間に同人が受けた精神的苦痛に対する慰藉料は一九一万七六〇〇円(一日あたり三四〇〇円)が相当というべきである。

(イ) 千鶴子が本件事故による死亡のために受けた精神的苦痛に対する慰藉料は五〇〇万円が相当というべきである。

(二) 原告秀雄の固有の損害

(1) 葬儀費用

原告秀雄は千鶴子の葬儀を執り行つたが、その費用のうち四五万円は本件事故と相当因果関係に立つ損害というべきである。

(2) 慰藉料

千鶴子が本件事故によつて死亡したことにより同人の夫である原告秀雄が受けた精神的苦痛に対する慰藉料は五〇〇万円が相当というべきである。

(3) 原告晃之の将来の介護費用

原告晃之は身体障害者(身体障害者等級表一級)で介護を必要とし、千鶴子がその介護にあたつていたものであるところ、本件事故により千鶴子が死亡したため、原告秀雄が自ら又は介護人を雇つてその介護に当たらなければならなくなり、そのために原告秀雄が将来支出を余儀なくされることになる介護費用の額は二〇〇〇万円を下らず、右額も本件事故と相当因果関係に立つ損害というべきである。

(三) 原告晃之及び同好夫の固有の損害(慰藉料)

原告晃之及び同好夫は、いずれも千鶴子の子らであるところ、千鶴子が本件事故により死亡したことによつて受けた原告晃之の精神的苦痛に対する慰藉料は、同人が前記のとおり千鶴子の介護を受けていた身体障害者であることをも斟酌すると五〇〇万円が相当というべきであり、また、原告好夫が受けた精神的苦痛に対する慰藉料は二〇〇万円が相当というべきである。

5  損害の填補

被告は千鶴子の治療費として一二八万二〇八〇円を支払つているので、これを千鶴子の損害額から控除する。

6  権利の承継

原告秀雄は千鶴子の夫であり、原告晃之及び同好夫は千鶴子の子らであつて、他に千鶴子の相続人はいないから、原告らは、千鶴子が取得した前記4の(一)の損害賠償債権を法定相続分に従い原告秀雄が二分の一、原告晃之及び同好夫がそれぞれ四分の一の割合で相続した。

よつて、被告に対し、原告秀雄は前記4の(一)の(1)ないし(5)の合計額から前記5の金額を控除した残額の二分の一に前記4の(二)の金額を加えた金額である四一三三万三九二八円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和六二年七月二六日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を、原告晃之は前記4の(一)(1)ないし(5)の合計額から前記5の金額を控除した残額の四分の一に前記4の(三)の金額を加えた額である一二九四万一九六三円及びこれに対する前同日から支払ずみまで前同割合による遅延損害金の支払を、原告好夫は前記4の(一)の(1)ないし(5)の合計額から前記5の金額を控除した残額の四分の一に前記4の(三)の金額を加えた額である九九四万一九六三円及びこれに対する前同日から支払ずみまで前同割合による遅延損害金の支払をそれぞれ求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実のうち、千鶴子が本件事故によつて腹部打撲の傷害を負つたとの点は否認し、その余の事実は認める。

2  請求原因2の事実は認める。

3  請求原因3の(一)の(1)の事実は認める。同3の(一)の(2)のうち、千鶴子が頸椎捻挫の治療のため原告の主張する期間新世病院で通院治療したこと及びその間の実通院日数は認めるが、千鶴子の頸椎捻挫の傷害は、昭和五九年四月一九日ころには、頸部痛の自覚症状のみを残して症状が固定していたものである。同3の(二)の事実は認める。同3の(三)のうち、千鶴子の死亡原因が横行結腸穿孔による汎発性腹膜炎から急性心不全を生じたためであることは認めるが、その余の事実は否認する。千鶴子の横行結腸穿孔は本件事故の約一年六か月後に生じたものであるところ、本件事故によつて一年六か月後に横行結腸に穿孔が生じることは医学的にはあり得ず、右穿孔は横行結腸にできた悪性腫瘍によつて生じたものであると推定されるから、本件事故と千鶴子の死亡との間には因果関係がない。

4  請求原因4の(一)のうち、(1)の治療費については、急性腹症等内科的疾患の治療のために要した費用が含まれているうえ、頸椎捻挫の治療費の中にも必要性のない治療の費用が含まれているので、これらの部分については、本件事故による損害であることを否認する。(2)の通院交通費については、タクシー使用の必要性及び自家用車使用の場合の通院費用が一〇〇〇円であるとの点はいずれも否認する。(3)の休業損害については、千鶴子は、その症状に照らし、昭和五八年一二月二三日ころ以降は通院しながらでも完全な家事労働をすることが可能であつたというべきであるから、それ以後の休業損害の発生は否認する。(4)及び(5)の(イ)の各損害並びに同4の(二)、(三)の各損害については、これらはいずれも千鶴子の死亡による損害であるところ、千鶴子の死亡と本件事故との間に因果関係のないことは前記のとおりであるから、本件事故によつて発生した損害であることを否認する。

5  請求原因5のうち、被告が千鶴子に治療費を支払つたことは認めるが、その額が一二八万二〇八〇円であるとの点は否認する。被告の支払つた額は抗弁において主張するとおりである。

6  請求原因6の事実は知らない。

三  抗弁(治療費の支払)

被告は、千鶴子の治療費として、千鶴子に一三三万二三二〇円を支払つた。

四  抗弁に対する認否

抗弁事実は認める。

第三証拠

本件記録中の書証目録並びに証人等目録に記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  本件事故の発生及び責任

請求原因1の事実(本件事故の発生)は、千鶴子が本件事故により腹部打撲の傷害を負つたとの点を除いて、当事者間に争いがなく、また、請求原因2の事実(責任原因)は当事者間に争いがない。

右事実によれば、被告は、自賠法三条に基づき、本件事故によつて発生した後記の損害を賠償すべき責任がある。

二  治療経過

1  頸椎捻挫について

千鶴子が本件事故によつて受傷した頸椎捻挫の治療のため、昭和五八年一〇月四日から加藤病院に、次いで、同月一七日から昭和六〇年四月六日まで新世病院に通院して治療を受けたこと及び新世病院の実通院日数が三九七日であることは当事者間に争いがなく、成立に争いのない乙第一ないし第一〇号証、第一五号証、第一六号証の一、二、第一七ないし第二九号証、第三四号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第一号証の一一の一ないし二一、第八号証の一ないし三、証人吾郷泰廣の証言及びこれにより真正に成立したものと認められる甲第五号証の一ないし八二、第六号証の一ないし二六、第七号証の一ないし五五を総合すれば、以下の事実が認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

(一)  千鶴子は、本件事故の翌日である昭和五八年一〇月四日、加藤病院で受診し、その後頸部挫傷の診断のもとに同月一三日まで同病院に毎日通院(実通院日数九日)して消炎剤の投与及び頸部の湿布等の治療(同病院の処方による薬局投薬を含む。)を受けた。

(二)  その後千鶴子は、新世病院に転医し、頸椎捻挫の診断のもとに昭和五八年一〇月一七日から昭和六〇年四月六日まで同病院に通院(実通院日数三九七日)して治療を受けた。

(三)  千鶴子は、新世病院に通院中、昭和五八年一二月末までは頭痛、頸部痛、めまい及び頸椎捻挫の患者が訴えることが多い夜間の盗汗などの症状を訴えていたが、その後はめまい、盗汗等を訴えることは殆どなくなり、愁訴としては頭痛及び頸部痛のみを主に訴えていた。しかし、昭和五八年一〇月一七日のレントゲン検査の結果によれば、頸椎に骨折やずれはなく、腱反射の異常、頸部の運動障害等の他覚的な異常所見も認められなかつた。

(四)  新世病院の吾郷泰廣医師は、千鶴子に対し、通院当初から昭和五八年一二月中までエリスパン、セルシン、トリプタノール等の精神神経剤及びセロクラール等の脳循環代謝改善剤を投与した他は、昭和五八年一〇月一七日から昭和六〇年四月までの全通院期間にわたつて、理学療法、消炎鎮痛剤の投与、神経ブロツク、湿布などの治療を継続していた。しかし、その間千鶴子の症状は、前記のように昭和五九年一月ころからめまい、盗汗等を訴えることが殆んどなくなつたほかは、変化はなかつた。

(五)  前記吾郷泰廣医師は、本件事故から約六か月後の昭和五九年四月一九日(それまでの実通院日数は加藤病院九日、新世病院一三八日の合計一四七日)、頸椎捻挫による頸部痛の症状を残して千鶴子の症状が固定したとの診断をし、昭和五九年五月一五日付け医療証明書(前掲乙第一〇号証)にその旨記載したが、千鶴子の了解が得られなかつたので、右記載を抹消し、後遺症については未定ということとして前記のような治療を継続した。

右認定の各事実によると、千鶴子は、本件事故により頸椎捻挫の傷害を受けたが、右傷害は遅くとも昭和五九年四月一九日までに頭痛及び頸部痛の後遺障害を残してその症状が固定していたものと認めるのが相当であり、右後遺障害の程度は、前認定のとおり、他覚的な異常所見はないものの、その後も頭痛及び頸部痛を訴えて頻繁に通院している点を考慮すると、自賠法施行令二条別表後遺障害等級表第一四級一〇号(局部に神経症状を残すもの)に該当する程度のものと認めるのが相当である。そして、右症状固定に至るまでの間においても、前認定のとおり、昭和五八年一二月末まで頭部痛や頸部痛の他にめまいなどの症状があつたが、その後はめまいなどの訴えはなくなつていることからすれば、昭和五九年一月には頸椎捻挫に由来する症状は本件事故後一、二か月の間よりも軽快していたものと認められる。

2  急性腹症等について

請求原因3の(二)の事実は当事者間に争いがなく、前掲甲第六号証の一ないし二六、第七号証の一ないし五五、いずれも新世病院において昭和六〇年四月九日(第一号証)、一〇日(第二号証)、一一日(第三、第四号証)に撮影された千鶴子の腹部レントゲン写真であることに争いのない検乙第一ないし第四号証、証人吾郷泰廣及び同岡田芳明の各証言を総合すれば、以下の事実が認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

(一)  千鶴子は、前認定の新世病院への通院当初は本件事故による腹部打撲や腹部痛を訴えたことはなかつたが、本件事故から一一八日後の昭和五九年一月二九日、下腹部痛(上腹部痛から始まつた。)を訴えて同病院において診察を受けた結果、急性虫垂炎と診断されてこの治療も受けるようになり、また、同年二月二日の胃・十二指腸透視によつて胃の体部に潰瘍性の瘢痕が発見され、更に、同年五月には進行性の胃潰瘍が発見されたため、胃潰瘍、胃下垂(但し、これは先天的な体質によるものである。)という病名も付加されたうえで、昭和六〇年四月五日までこれらの疾患に対する治療も合わせて受けていた。しかし、この間、腸については、特に訴えはなく、異常も見られなかつた。

(二)  本件事故から五五三日後の昭和六〇年四月八日午後八時半ころ、千鶴子は、腹部全体の痛みを訴えて新世病院で受訴し、急性腹症の診断のもとに同病院に緊急入院をした。入院当初、千鶴子には、腹部に緊性防禦(腹壁の筋肉を緊張させて痛みを我慢している状態)が認められたが、腸の動きを示すグル音は聴取された。しかし、その後腸の麻痺を示すグル音の消失又は鈍麻及び小腸内のガスの貯留の症状が現れ、更に、同月一日の時点では腹腔にもガスが貯留するようになり、また、腹部のレントゲン写真には腹膜炎の所見である鏡面像も認められた。

(三)  新世病院の吾郷泰廣医師は、同月一一日に千鶴子の腹膜炎の治療のために開腹による腹腔内洗浄及び人工肛門造設の手術を行つたが、その際、千鶴子の横行結腸の脾湾曲部に狭窄(腸閉塞、イレウス)があつて、その口側に穿孔があり、肛門側の下行結腸は萎縮して口側より細くなつていることが確認された。

(四)  右手術後も千鶴子の症状は悪化し、同人は同月一九日、汎発性腹膜炎を原因とする急性心不全のために死亡した。

3  千鶴子の死亡本件事故との因果関係について

(一)  横行結腸穿孔の原因

前掲甲第五号証の一ないし八二、第六号証の一ないし二六、第七号証の一ないし五五、成立に争いのない甲第一号証の三、乙第三一ないし三三号証、証人吾郷泰廣及び同岡田芳明の各証言を総合すれば、以下の事実が認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

(1) 腸管の穿孔が腹部打撲によつて生じる場合には、打撲によつて直ちに腸管自体に穿孔が生じる場合と、打撲によつて腸間膜に損傷が生じその結果二次的に腸管に穿孔が生じる場合(遅発性の場合、但し、この場合でも受傷後一週間程度を限度とする。)があるが、いずれにしても穿孔が生じると腸管の内容物が漏出して即時に腹膜炎となり、すぐに腹部の激痛を訴えるはずであるから、腹部打撲によつて腸が損傷し穿孔が生じたものとすれば事故直後か、遅くとも事故後一週間程度の間(最大限数週間以内)に腹部の痛みを訴えるはずであり、更に、千鶴子の横行結腸穿孔のあつた脾湾曲部は肋骨で保護され、周囲には脾臓がある場所であるから、右部分の腸管やその周囲に損傷を生じるような衝撃を受ければ、肋骨の骨折や脾臓の損傷もあつたはずであるところ、千鶴子は前記のように事故直後には腹部の打撲や腹部痛は訴えておらず、その急性腹症の発生は前記認定のとおり事故から五五三日後であり、また、千鶴子には肋骨骨折、脾臓損傷等の傷害はなかつた。

(2) 前記2の(三)の認定事実によれば、千鶴子の病状は横行結腸脾湾曲部に生じた狭窄(イレウス)部分に通過障害が生じ、その狭窄部の口側に穿孔を生じたという経過をたどつたものと推認されるので、千鶴子の罹患したイレウスは機械的かつ単純性のイレウスであつたと考えられ、その発生原因としては、先天性のもの(先天性腸管閉鎖)、腸管内異物によるもの(回虫、胆石、腸石、硬便等)、腸管自体の器質的変化によるもの(瘢痕、腫瘍、癒着、屈折、索状物による緊圧、隣接臓器の炎症、腫瘍等による圧迫)が考えられるところ、千鶴子は発症当時四七歳であつたから先天性のものではあり得ず、腸管内異物、腸管の屈折又は索状物・隣接臓器等による緊圧・圧迫によるものであれば手術時にその所見があるはずであるのに、千鶴子の手術時に右のような所見はなかつた。また、腸管の瘢痕、癒着の原因としては、外傷性のものと細菌感染等による炎症性のものとが考えられるが、外傷性の瘢痕又は癒着が生ずるためには、腸管に挫傷が生ずるほどの強い力が加わらなければならないところ、前記のとおり、千鶴子は事故直後には腹部の打撲や腹部痛を訴えておらず、肋骨骨折や脾臓損傷等の傷害も受けていなかつた。

(3) 横行結腸の脾湾局部は悪性腫瘍の好発部位である。右認定の各事実に前記2で認定した各事実を合わせ考えると、千鶴子が本件事故により腹部を打撲し、そのために横行結腸穿孔が生じたものとは認め難く、むしろ、千鶴子の横行結腸穿孔は、腸壁にできた悪性腫瘍か、そうでないとしても炎症性の瘢痕又は癒着によつて横行結腸の脾湾曲部に狭窄が生じ、その結果穿孔ができたものと考えられる。

なお、証人吾郷泰廣の証言中には、開腹手術の際に調べたところでは千鶴子の大腸に腫瘍は認められなかつた旨の供述部分があるが、前掲甲第七号証の二一、二二(診療録中の手術記録及び病理学的・解剖学的所見)中にはそのような記載は全くないので、右証言はにわかに信用できず、他に、本件事故によつて穿孔が生じたことを認めうるような証拠はない。

(二)  悪性腫瘍及び腸管の炎症性の瘢痕又は癒着と本件事故との因果関係

前掲甲第五号証の一ないし八二、甲第六号証の一ないし二六、甲第七号証の一ないし五五、証人吾郷泰廣及び同岡田芳明の各証言を総合すれば、以下の事実が認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

(1) 千鶴子は、前記のように本件事故により頸椎捻挫の傷害を受け、頸部痛等の後遺症が残つたものであるが、このような頸部の損傷によつて、千鶴子の迷走神経に損傷が生じたことを証明するような所見はなく、検査も行われていない。そして、仮に千鶴子に迷走神経の損傷があり、又は頸部痛等によるストレスがあつたとしても、そのような神経損傷ないしストレスが悪性腫瘍を起こさせたり、瘢痕性又は癒着性のイレウスの原因となるような炎症を起こさせるほどの影響を腸に与えるといつた報告例はないので、医学的には、右神経損傷ないしストレスが千鶴子の横行結腸狭窄の原因であるということはできない。

(2) また、前記のように千鶴子は胃下垂、胃潰瘍に罹患していたが、胃下垂は先天的なものであるから本件事故とは何の関係もないことが明らかであり、胃潰瘍については、ストレスが原因になつて発生することが医学的にも認められているが、胃潰瘍と横行結腸とは部位を異にしているので、医学的には、本件受傷によるストレスによつて胃潰瘍になり、その結果として横行結腸に狭窄が生じたということもできない。

右認定事実によると、千鶴子の横行結腸に穿孔を生ぜしめた横行結腸狭窄の原因として考えうる悪性腫瘍及び炎症性の瘢痕又は癒着と本件事故との間には、直接的にも間接的にも因果関係を認めることは困難であり、他にこれを認めるに足りるような証拠は存在しない。

(三)  以上認定説示したところによれば、本件事故と千鶴子の死亡との間に相当因果関係を肯認することはできないものというべきである。

もつとも、成立に争いのない甲第一号証の一〇(吾郷泰廣医師作成の千鶴子の死亡診断書)中には、本件事故以来頸部挫傷と思われる症状が継続し、これが死期を早めたと思われる旨の記載があり、また、同医師は、右のような記載をした理由につき、証人として、千鶴子には頸椎捻挫があつたことから、本件事故によつて頸部に衝撃を受けたものと思われるところ、頸部には消化器官の機能を司る迷走神経が通つており、その損傷等によるストレスが胃潰瘍の原因となることもあるので、同じ消化器管である横行結腸の穿孔も右ストレスが原因であると推測したと供述しているが、前記認定の各事実に照らすと、右推測は十分な根拠のない憶測にすぎないものというべきであり、従つて、前記甲第一号証の一〇の記載は本件事故と千鶴子の死亡との間の因果関係を肯認するための的確な証拠とはいえない。

四  損害

1  治療費

前記認定のように、本件事故により千鶴子は頸椎捻挫の傷害を受け、加藤病院及び新世病院に通院して治療を受け、昭和五九年四月一九日に症状が固定するに至つたものであるから、昭和五八年一〇月四日から昭和五九年四月一九日までの頸椎捻挫に関する治療費だけが本件事故と相当因果関係に立つ治療費として被告に賠償を求めることができるものというべきであるところ、前掲甲第一号証の一一の一ないし七及び成立に争いのない乙第三四号証によれば、千鶴子の昭和五八年一〇月から昭和五九年三月分までの治療費の合計額は六二万九四六〇円であることが認められる。昭和五九年四月一日から同月一九日の症状固定までの間の治療費の額は明確でないが、前掲甲第一号証の一一の八及び第五号証の二八ないし三三によると、昭和五九年四月分の千鶴子の新世病院における頸椎捻挫の治療費は九万〇一〇〇円で、同月中の通院日数は二四日であるところ、四月一九日の症状固定までの通院日数は一六日であり、当時の治療内容は毎回ほぼ同じであつたことが認められる。そこで、四月一九日までの治療費については、これを日割りで算出するのが相当であり、これによればその間の治療費は六万〇〇六六円となる。従つて、本件事故と相当因果関係に立つ治療費の額は右の合計額である六八万九五二六円であると認めるのが相当である。

2  通院交通費

前掲甲第一号証の一一の一、二及び弁論の全趣旨によると、千鶴子の住所地並びに加藤病院及び新世病院の所在地はいずれも枚方市内であり、千鶴子はこれらの病院にタクシー又は自家用車で通院したことが認められる。ところで、千鶴子が頸椎捻挫の治療のためその症状固定までに加藤病院に九日、新世病院に一三八日の合計一四七日間通院したこと及びその間の症状は前記認定のとおりであるが、これに照らすと千鶴子はタクシーで通院することが必要な程重篤な症状であつたとは認められないから、本件事故と相当因果関係に立つ通院交通費の額としては、通常の市内バスの料金及びガソリン代に照らし、通院一日あたり三〇〇円の一四七日分、四万四一〇〇円と認めるのが相当である。

2  逸失利益

前掲甲第一号証の三及び弁論の全趣旨によれば、千鶴子は、昭和一二年一一月二五日生まれの本件事故当時満四五歳の健康な女子で、原告ら一家の主婦としての家事に従事していたことが認められる。

ところで、千鶴子が本件事故によつて頸椎捻挫の傷害を受け、昭和五八年一〇月三日の本件事故から昭和五九年四月一九日の症状固定までの間、頸部痛等の症状があつたために通院治療を続け、その後も昭和六〇年四月一九日に死亡するまで頸部痛等の後遺症が残存したことは前記認定のとおりであるから、これによつて主婦としての家事労働が相当程度妨げられたものというべきであるところ、その間に千鶴子が本件事故によつて失つた労働能力の喪失率は、同人の前記症状の経過及び後遺症の内容に照らすと、本件事故から昭和五八年一二月末まで九〇日の間は一〇〇パーセント、その後昭和五九年一月(三一日間)は三〇パーセント、同年二月(二九日間)は二〇パーセント、同年三月から四月一九日の間(五〇日間)は一〇パーセント、同年四月一九日の症状固定から昭和六〇年四月一九日に死亡するまでの間の一年間は五パーセントとみるのが相当である。そして、これを金銭的に評価するには、本件事故から昭和五八年一二月末までは昭和五八年度賃金センサス産業計・学歴計満四五歳ないし四九歳の女子労働者の平均賃金である二一四万五七〇〇円、昭和五九年一月一日以降については、昭和五九年度賃金センサス産業計・企業規模計・学歴計満四五歳ないし四九歳女子労働者の平均賃金である二二三万八五〇〇円を基礎とするのが相当であり、これによれば本件事故から症状固定までの逸失利益は、次の算式一のとおり六五万二三四五円となり、症状固定後死亡までの逸失利益については、ホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除してその症状固定時における逸失利益の現価を算出すると、次の算式二のとおり一〇万六五八六円となる。

従つて、千鶴子の本件事故による逸失利益の総額は右の合計額である七五万八九三一円となる。

(算式一)

2,145,700÷365×90+2,238,500÷365×(0.3×31+0.2×29+0.1×50)=652,345

(算式二)

2,238,500×0.05×0.9523=106,586

4  千鶴子の慰藉料

弁論の全趣旨によれば、千鶴子は本件事故による受傷により精神的苦痛を受けたものと認められるところ、その慰藉料の額としては、前認定の本件事故による受傷内容、治療経過並びに後遺症の内容及び程度、その他本件に顕れた諸般の事情を斟酌すると、一〇〇万円と認めるのが相当である。

5  その余の損害について

原告らの主張するその余の損害は、千鶴子の死亡によつて生じたとする損害又は千鶴子の死亡に伴う慰藉料であつて、いずれも本件事故と千鶴子の死亡とが相当因果関係に立つことを前提とするものであることは弁論の全趣旨により明らかであるところ、右両者間に相当因果関係が認められないことは前記のとおりであるから、その余の点について判断するまでもなく、右損害の賠償請求に理由のないことが明らかである。

五  損害の填補

被告が千鶴子に対し、治療費として一三三万二三二〇円を支払つたことは当事者間に争いがないので、右金額を前記四の千鶴子の損害額から控除すべきである。

六  権利の承継

前掲甲第一号証の三によれば、原告秀雄は千鶴子の夫であり、原告晃之、同好夫は千鶴子の子らであつて、他に千鶴子の相続人はいないことが認められるから、原告らは、前記認定のとおり昭和六〇年四月一九日に千鶴子が死亡したことにより、前記四の損害額から五の填補額を控除した千鶴子の損害賠償債権を法定相続分に従い原告秀雄が二分の一、原告晃之及び同好夫が各四分の一の割合で相続したものと認められる。

七  結論

以上の次第で、原告らの本訴請求は、自賠法三条に基づいて被告に対し、原告秀雄が五八万〇一一八円、原告晃之及び同好夫が各二九万〇〇五九円及び右各金員に対する本件事故の日ののちであり、訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかである昭和六二年七月二六日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから、これを認容し、その余はいずれも失当であるから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条、九三条を、仮執行宣言について同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 笠井昇 阿部静枝 井上豊)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例